先週9月17日のOLDs第71回巣鴨行動での森田さんのスピーチです

以下は、先週のOLDs第71回巣鴨行動での森田さんのスピーチです。(長文)

司法判断を浸食する全体主義

昨日(9月16日)、福岡高等裁判所那覇支部は、沖縄県の翁長知事による「名護市辺野古の埋め立て承認取り消し」を巡り、国が県を相手に提起した不作為の違法確認訴訟について、国の請求をほぼ全面的に認め、県の承認取り消しを取り消すよう求めた国の「是正の指示」に従わないことは違法としました。

この間の、県議会や国政選挙において、沖縄県民は基地建設反対という民意を明確に示してきました。裁判でも沖縄県側は、そのことを訴え続けた。しかし昨日の判決は「(辺野古に)反対する民意には沿わないにしても、基地負担の軽減を求める民意に反するとは言えない」といういかにも苦しい理屈をひねり出し、県民の民意を踏みにじりました。

間違いなくこの判決は、日本の司法が劣化と腐敗、政治権力への屈服への歩みを、さらに加速したことを証明しているのではないかと、私は思います。

私はこの判決から滲み出ているのは、「国の利益がいちばん大切であり、沖縄県民は四の五の言わず、それに従え」という考え方だと思います。これは「国民よりも国家」、「個よりも全体」を重んじる自民党の改憲草案の思想を先取りした判決です。大きな憤りをもって、強く抗議します。

山之口獏の詩を口ずさみながら考えたこと

さて、みなさんは山之口獏という沖縄出身の詩人をご存知でしょうか。放浪生活を続けながらこんな詩を書いています。『生活の柄(がら)』という詩です。フォークシンガーの故高田渡さんがこの詩にメロディをつけています。彼のアルバムにも入っています。

以下はその一節です。

歩き疲れては、夜空と陸との
隙間にもぐり込んで草に埋もれて寝たのです
所かまわず寝たのです
(中略)
そんな僕の生活の柄が
夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて
秋は 秋からは
浮浪者のままでは眠れない

なぜこの詩のことを持ち出したのかというと、自民党のみなさんを先頭に、憲法改正を声高に叫ぶ方々が、「日本の国柄」というよく言葉を持ち出しているからです。以前から気になってはいたのですが、昨日の判決を読んでますます気になっています。

先日のリオオリンピックでは、さまざまな国のアスリートが活躍しました。そこには一つとして同じフォームはなく、同じ体型もなく、当然同じ顔もなく、表彰式でのふるまいもさまざまでした。私はここにアスリートの個性の多様性を感じ、その個性を育んだ背景の多様性もまた感じました。

私にとって「国柄」とはその程度のものであり、かつそれ故「人柄」や「生活の柄」と同じように大切にしたいものです。高田渡さんの歌から私は、そう感じました。

石川啄木に『ふるさとの訛なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく』という短歌がありますが、そのようにごく自然に湧いて出る人それぞれの感情や生活の実感によって形作られるものが国柄だと思います。誰かが上から目線で決めつけるようなものではありません。

改憲派が唱える「国柄」の胡散臭さ

ところが、憲法改正を進めようとする方々の考えは違うようです。

保守論壇の看板おばさん、桜井よしこ氏は著書や講演でしばしは神武天皇に言及しています。そのことを天皇の生前退位をめぐる9 月11日の朝日新聞のインタビューで記者から「(神武天皇は)実在しないと言われています」と問われて答えた発言の中に「国柄」が登場しています。桜井氏は次のように答えています。

「大切なのは実在したかどうかではない。神話とは、その民族が大切にしたい価値観を凝縮させて作った『民族生成の物語』だ。」と述べた後、以下の言葉を連ねます。「そこには日本の国柄のエッセンスが込められている。日本の穏やかな文明を体現してきたのが皇室だ」。

なるほど「大切なのは実在したかどうかではない」のですね。しかし、神武天皇の存在を前提に、大日本帝国を神の国として国民を大儀なき戦争に総動員し、その結果、アジア諸国に与えてしまった大きな損害と苦痛はまぎれもなく「実在」しています。

なるほど、「物語」なのですね。ならば、虚構(フィクション)にもとづいて、私たちの父祖は徴兵され、中国大陸や南方の島々で屍をさらし、特攻隊員たちは戦略的にほとんど意味のない作戦にしたがって、米軍に「バカ爆弾」とあざけられながら、洋上に散ったことにはなりませんか。

なるほど「日本の穏やかな文明」ですか。

ならば「穏やかな文明」からどうして、先の戦争のような蛮行、愚行が出現したのでしょうか。

私たちは、憲法の破壊を目論む勢力の、「国柄」のねつ造を軽視してはならないと切に思います。

自民党の日本国憲法改正草案にも、この「物語」は随所で顔を覗かせています。

たとえば自民党の「憲法改正草案前文」にはこうあります。

「日本国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」

現行憲法と比較してみましょう。現行憲法の前文はまず、「日本国民は」という言葉から始まります。「日本国民」であって「日本国は」ではないことに注意してください。このことは自民党改正草案という「物語」の主役は「日本国」であって、「日本国民」ではないことを物語っています。

さらに「改憲草案」は、実在しない神武天皇からはじまる神話を根拠に日本の「長い歴史と固有の文化」を強調しています。

私は自民党改正草案に描かれたような、日本の姿を認めることはとうていできません。私は、現行憲法の前文にある「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」という文言に全面的に賛同し、かつ誇りを抱くものです。

ここで描かれている日本の姿は、決して「物語」などではなく、私たちが戦後70年間、営々として築き上げてきた、現実だからです。

この前文で語られている、自由と平和という人間としてごくごく当然な願いが、いま踏みにじられようとしています。私はそのことを巣鴨駅前をご通行中のみなさんにも知っていただきたいのです。私たちが配布しているチラシを、ぜひとも手にとって読んでいただきたいのです。そして私たちの署名活動にご協力をお願いします。

こんな連中に「国柄」を勝手に決めさせるわけにはいかない

最後にもう一つだけ知っていただきたいことがあります。それは憲法改正をいいたてる連中の、悪質な御都合主義です。

さきほど紹介した朝日新聞のインタビュー記事には、桜井よしこ氏と並んで、麗沢大学教授、八木秀次氏へのインタビューも掲載されていました。この八木という人物は、安倍首相のブレーンともされる人物です。

このインタビューで八木氏は天皇の退位をめぐる、いわゆる「お気持ち表明」に関して、『天皇は国政に関する権能を有しない』と定めた憲法に触れるおそれがある、としています。ここで八木氏が言っている憲法とは、もちろん彼らが破壊を目論む現行憲法です。現行憲法の第一章「天皇」の第五条に、そのように定めてあります。

さすが安倍首相のブレーンですね。天皇と言えども憲法に抵触する行為は行なえないという立憲主義の本質をよく理解しておられます。

ならば、立憲主義を破壊した、昨年の安保関連法案の審議についても八木氏は意義を申し立てるべきはないでしょうか。都合のいいときだけ、自らが敵視する現行憲法の条文を盾に取るのは、アンフェアかつみっともない振る舞いだとは思わないのでしょうか。

融通無碍というか、テキトーというか、桜井氏も八木氏も、このインタビューで自らの御都合主義を露呈していとは思いませんか。

こんな連中に、平和な戦後日本の歩みの核心をなす現行憲法と立憲主義を骨抜きにされてはたまりません。

巣鴨駅前ご通行中のみなさんが、私たちの訴えに耳を傾けてくださることを、再度お願いして、私の本日のスピーチを終わります。ありがとうございました。

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