「テロ」とは何か(森田萌氏のスピーチ)

以下は、3月4日のOLDs巣鴨行動での森田萌さんによるスピーチです。(長文)

私たちオールズは、毎週土曜日の午後3時から4時まで、ここ巣鴨駅頭で活動をしています。活動の後、私たちは近くの喫茶店で、勉強会を開いています。さまざまなテーマを取り上げてきましたが、先週のお題は「テロ」でした。

メンバーの一人が行なった報告を題材に議論をしましたが、その報告が非常に興味深い内容であり、また現在、自民・公明両党が法案の審査を行なっている「共謀罪」にも、関連する部分があったので、ここで駅前を通行中のみなさんにもその要点を聴いていただきたいと思います。

勉強会に参加したすべてのメンバーが魂消たのですが、国際法レベルでの「テロ」の概念、および定義づけはまだなされていないそうです。わが国の外務省も広報資料で「テロに国際法上の定義はありません」としており、「テロ」とはとても広範囲で多岐にわたる行為を含むものであり、その形態には実にさまざまなものがあります」と述べています。私はここに目をつけたのが、今回「共謀罪」の成立を目論む与党だと考えます。

「テロ」が広範囲で多岐にわたる行為を含むもの」であるならば、それを防ぐには、広範囲で多岐にわたる行為に網をかけなければならない、これはきわめて論理的な帰結です。安倍政権はこの帰結に「悪ノリ」したのです。

そもそも犯罪は心の中で考えただけでは処罰されず、現実的な危険が生じて初めて処罰の対象となります。それは権力者が安倍首相の好きな言葉でもある「法の支配」を掲げて、個人の内面に踏み込み、個人が抱く思想に介入することを厳しく退けるためです。思想・信条の自由は、民主的な国家を支える大きな柱だからです。もちろんここには信仰の自由や、言論の自由も含まれます。しかし安倍政権は危険な行為となる対象を限定しては、テロを未然に防ぐことはできないと主張し、「共謀罪」の対象となる範囲をあいまいにしたまま、法案の成立をめざしています。これはまさに、民主的な国家としてのわが国の危機です。

しかし、「共謀罪」は、衆院予算委員会の質疑で示された、金田法務大臣の醜態に象徴されるように、その内容は支離滅裂の「やっつけ仕事」です。定義すら確立していない「テロ」という非道な行為。その防止を図ろうとする法律には、テロの実情の詳細な調査、立法の必要性の慎重な検討、テロの実情、自由な信仰と言論を維持することとの整合性の精査が求められます。しかし安倍政権にも法務省にも、そうしたことを真摯に行なった形跡はありません。それどころか、法務省は2月6日にこの法案に関して「国会に提出した後、所管の法務委員会においてしっかりと議論を重ねていくべきものと考える」とする異例の見解を文書で発表しました。質問封じを狙ったとしか思えないこの文書は、立法府である国会の審議権を侵害する、「三権分立の根幹に関わるような見解」として、強い批判を浴び、翌日金田法務大臣が撤回と謝罪に追い込まれたことは、皆さんもご記憶のことと思います。

同じく2月6日の日本経済新聞、よろしいですか。朝日新聞でも毎日新聞でも東京新聞でもありません。「財界の広報紙」と呼ばれることもある日経ですよ。その日経の社説が「2020年の東京五輪対策やテロ防止を過度に強調したり、条約上絞り込めないと明言していた600超の対象犯罪を半数程度に削る姿勢を見せたり、政府側の対応はあいまいで二転三転している。」と主張しています。

それに続けて、社説は次のように指摘します。イメージの悪さを払拭する必要からか、「共謀罪とはまったく違う」「発想を変えた新たな法律だ」との説明も聞かれた。だが共謀罪とまったく違うなら肝心の条約が締結できなくなってしまう。(ここで登場した「肝心の条約」については少し説明が必要です。実は政府は、共謀罪新設の提案は、専ら、国連越境組織犯罪防止条約を批准するためと説明し、共謀罪を立法しないと条約の批准は不可能で、国際的にも批判を浴びるとしてきました。これが肝心の条約です)共謀罪とまったく違うなら、かえって国際的な批判を浴びることになりませんか。だから日経の社説はこう主張します。「一体何を目指しているのかさえよく分からない」と。

さらに日経の社説は、「犯罪の共謀を罰する規定は、現行制度でもすでに爆発物取締罰則や国家公務員法などに13あるという。問題は共謀罪を新たに設けるということより、条約に便乗するような形で幅広く網をかけようとしてきた政府側の姿勢であることをここで指摘しておきたい。」と、きわめて冷静で的確な批判を行なっています。

「ハフィントンポスト」というインターネット新聞があります。前自民党幹事長であり、2015年に戦争法反対を叫んで国会を取り囲んだデモ隊のコールをテロと呼んで物議をかもした石破茂衆議院議員が2015年の11月25日にこの新聞に投稿しています。そこで石破さんは「「共謀罪」という語感から世論の反発を招くことは必至ですが、現状のままでは各国共通の処罰法整備を目的として二〇〇〇年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」を批准することも出来ず、重大な国際犯罪に問われて日本に逃げ込んだ犯人を逮捕することも外国に引き渡すこともできないこととなってしまい、日本がテロ組織の活動の抜け穴にもなりかねません」と述べています。そうでしょうか?

日経の社説にある通り、現行制度にも、そのための規定はあるのです。日本弁護士連合会の国際室が行なった調査(ちなみに政府はこの条約に関する世界各国の対応について「わからない」と国会で答弁しています)によると「新たな共謀罪立法をわざわざ行ったことが確認された国は、ノルウェーなどごくわずか」だそうです。政府は「わからない」のではなく国民に「知られたくない」のでしょう。

話を勉強会の報告に戻します。

私はスピーチの冒頭で、「テロ」には国際法レベルでの定義はないと述べました。するとこの二日に政府が与党に提示した「共謀罪」法案には「テロ」という文言が見当たらないではありませんか。私はようやくぼんくらの法務官僚も、ぼんくら官僚に辛うじて支えられている金田大臣も、「テロ」概念のあいまいさに気づいたのかと思いました。違いましたね。これに対して自民・公明両党から「テロを明記しろ」との異論が出ました。それをよく読むと、「国民に処罰対象はテロ集団だと思ってもらわないと、国民に幅広い範囲で網をかけようとする共謀罪の狙いがバレてしまう」という懸念が透けて見えてきました。

みなさん、だまされないでください。共謀罪は決してテロ対策などではありません。自由にものが言える社会を押しつぶすことを目的とする危険な法律なのです。

それにしても「テロ」という言葉を外したのは、共謀罪がテロ対策が目的ではないことを、法務省自らが暴露したお粗末な国民懐柔策ではないでしょうか。

共謀罪に「テロ」がないのなら、他の法律はどうなっているのだろうと考えた私は、調べてみました。おもしろい結果が出ました。
調べたのは「テロ」の処罰と関係がありそうな27の法律です。
何を調べたかと言うと、それらの法律における「テロ」という言葉の使用頻度です。

法務省のサイトで法文にアクセスし、そこにパソコンの検索機能で「テロ」と入力し、何件ヒットするかを調べました。

まず調べた27の法律を列挙します。

刑法、刑事訴訟法、組織犯罪処罰法、爆発物取締罰則、道路運送法、覚せい剤取締法、出入国及び難民認定法、武器等製造法、自衛隊法、銃刀法、道路交通法、新幹線特例法、電気事業法、海底電線等損壊行為処罰法、ハイジャック防止法、火炎瓶処罰法、航空危険行為等処罰法、人質強要行為等処罰法、生物兵器禁止法、化学兵器禁止法、サリン被害防止法、感染症予防法、対人地雷禁止法、公衆等脅迫目的犯剤資金提供処罰法、海賊対処法、クラスター弾禁止法。以上です。

その結果、実に21の法律で、「テロ」という文言が「見つかりません」と表示されました。「テロ」という文言があったのは6本の法律ですが、そのうち一つは、感染症予防法で、病原体の名前にテロの二文字を含むものがあったためでした。残り5本の法律では、附則の部分でテロが登場します。一例をあげると組織犯罪処罰法の附則では、テロリストという言葉の中に「テロ」が使用されています。そのくだりは「この法律はテロリストによる爆弾使用の防止に関する国際条約が日本国について効力を生ずる日から施行する」というものです。要するに二〇〇〇年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」の批准を待って施行するということです。しかしこの国連が採択した条約は、爆弾使用のみを対象とする条約などではなく、さらに広い範囲の行為を対象としています。私はこれはこういう性格の条約としては欠陥があると思います。

基本的人権の制限を招きかねないこうした条約については、爆弾の使用なり、毒物の至要なり、銃撃なり、それぞれのテロ行為を厳密に規定し指定すべきです。でないと、アベ内閣が目論んでいるように、規制の範囲が無限大に拡大してしまいかねません。

それにしてもみなさん、テロという言葉のないわが国の刑罰法規の体系は穴だらけなのでしょうか? そうではありません。日本弁護士連合会によると、「国際組織犯罪防止条約」の批准は共謀罪の成立を待たなくても十分行なえるそうです。安保環境の変化を理由にテロ対策を急ぐべきだと叫ぶなら、アベ内閣はただちに共謀罪を取り下げ、現行法規の中で可能な箇所から条約の批准を国会に諮るべきです。しかし現在の政権にはそんな気配はどこにもありません。
ということは、安倍政権は国民をより大掛かりに、より効率良く束ねることを最優先する内閣と見るべきです。ファッショとはイタリア語で「束」を意味します。ファシズムの語源です。私たちはアベ内閣の危険なファシズム志向を絶対許してはなりません。

今日はもう少しスピーチをさせてもらいます。テーマは連日国会で野党の追求と、政権の防戦が繰り広げられている「アッキード事件」です。アッキードとは首相夫人・安倍昭恵さんの愛称と、かつての大疑獄事件であるロッキード事件を組み合わせた造語です。誰が考えたのか知りませんが、スパイスのよく効いた言葉だと思います。今年の流行語大賞の最有力候補ですね。

わたしはこの「アッキード事件」を知った時、いまから40年と少し前、一人息子を保育園に入れるために苦労した日々を思い出しました。共働きの私の家にとって、収入のために、また夫婦それぞれがやりがいのある仕事を継続的に続けるために、保育園という施設の存在は不可欠でした。無認可の保育園を利用したりしながら、何年も申請を続け、ようやく区立の保育園に入れたのは、就学期の直前でした。その経験から、私たち夫婦は、お役所仕事の非効率、融通の効かなさ、納税者に対するサービス精神の欠如を痛感しました。

しかしみなさん、アッキード事件ではどうでしょう。廃棄物撤去費用を算定する時間がなければ、たとえ前例がなくても「役所のほうでやります」と引き受けてくれます。保育園の場合は、すべて納税者が、慣れない役所特有の書式と格闘しなくてはなりませんでした。

また、仕事の関係で、早く結果が知りたいので、私たちの申請の審査を早めてもらえませんか、という必死の要望に対しては、「特別扱いは不公平ですから」とけんもほろろでした。それにひきかえ「アッキード事件」では、お役所は森友学園側が4月の開校に間に合わせてと言えば、ホイホイと審査を進めたことが明らかになっています。「なんだやればできるじゃないか」というのがそれを知ったときの私の感想でした。安倍政権下の役所は、やればできることも、政治家のせんせいの口利きがなければやらないのですね。

手元にあった三省堂の「新明解国語辞典」では「お役所仕事」に「形式だけをむやみにやかましく言う上に、非能率の典型と思われる仕事ぶり」という解釈を与えています。しかしみなさん、今回の「アッキード事件」ではまったく違います。

そのスピード感、その森友学園ファーストの姿勢、懇切丁寧な対応ぶり、どれをとってもアッキード事件は、お役所仕事のイメージを一変させました。そして私たちのような「つてのない市民は結局バカを見る」ということを再認識させてくれました。

安倍首相は3月2日の参議院での質疑で、山本太郎議員が質問の中で「アッキード事件」という言葉を再三用いたことに対し、「アッキード事件という言い方は限度を超えているのではないかと思います。この問題の核心とは関わりなく、まさに人の名誉を傷つけるために、この委員会の場を活用されることは極めて不愉快」と不快感を露わにしました。

しかしみなさん、私は声を大にして言いたい。安倍晋三が自らの連れ合いをおちょくられて感じる不快感など、われわれ納税者が覚えた、行政に対する深い不信感、政権に対するもはや「限度を越えた」不快感に比べれば、どーってことはありません。安倍首相がまずやるべきなのは、国民の財産である国有地を、教育者の資格ゼロの人物に、投げ売りしてしまったことについての謝罪ではありませんか? みずからの不快感を示すのはちょっと順序を間違っているのではないかと、私は思います。

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