ぎぞう、ねつぞう、あべしんぞう

森田萌

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私用で今週と来週の巣鴨行動を欠席します。そこで、もし出席していたらこんなスピーチを行なったろうという、いわば仮想スピーチ原稿を作ってみました。

最近私のスピーチは、聴く人は限りなくゼロに近いのに比べ、ありがたいことにOLDsのFace Bookで「読む人」は、確実にいます。今回の投稿はそれを踏まえ「読む人」向けのスピーチとします。題して

読売社説へ反論する

①御用メディア参上

ぼちぼち現れるかな、と思っていたら、案の定登場しました。国会での審議に対する野党の欠席戦術に対する批判です。安倍政権の広報部とも言われる読売新聞の4月26日付の社説「国会の混乱、審議復帰に条件を付けるのか」がそれです。これからその社説に、逐一反論してみます。

まず最初のフレーズが、フェイクです。

「審議復帰に前提条件を付ける野党の対応は、甚だ疑問である。『言論の府』の権威をおとしめ、政治不信を助長していることを自覚すべきだ」と来ました。しかしみなさん、『言論の府』の権威をおとしめているのは、加計・森友疑惑に対する「ていねいな説明」から逃げまくっている安倍首相の政治姿勢ではありませんか? 政治不信を助長していることを自覚すべきなのも、首相自身であることは、最近の各世論調査の結果が示しているように、わが国有権者の大多数が正しく理解しているところです。

社説は野党の4つの要求を紹介し次のようなレッテル貼りを行ないます。「国会運営の責任を与党に押し付けるような態度は、抵抗野党との批判を免れまい」。読売の論説担当者に訊ねたい。選挙のたびに「責任政党」としての立場を呼号してきたのは自民党じゃなかったでしょうか? 二階幹事長は怒らねばなりません。責任を問われると「押し付けられた」と開き直るような、自民党はそんな政党に成り下がったと、この社説は主張しているのですから。

しかも社説はこうも主張するのです。「政権のイメージダウンを狙い、駆け引きに終始する姿勢は、国民の理解を得られない。野党各党は、内閣支持率が落ちる中でも、自らの支持率が低迷している現状を直視せねばならない」。ならば、国会審議に「復帰」すれば野党の支持率は上がるのでしょうか?

私は野党は支持率の向上など念頭にないと感じています。公文書の改竄、隠ぺい、国有地の売却などに見られるように「アベ政治」はもはや放置できないほどの腐臭を放っています。一日も早く国政の場から追い出さなければ、この国の統治のあり方の歪みは、矯正が不能な段階に至ります。「首相の思い通りにはさせない」、この政治課題の前では、支持率の向上など些末なことに過ぎない。私は野党はこのように認識していると確しています。

②今国会の最重要課題とは?

社説は「働き方改革関連法案の充実した議論も欠かせない」ととって付けたように主張します。安倍政権もこの法案の成立を「今国会の最重要課題」と位置づけているようです。しかしこれも各世論調査の結果を見るまでもなく、いまや最重要課題などではありません。証人喚問を含めての数々の疑惑の解明、それに対する財務大臣、防衛大臣を筆頭とする閣僚の責任の追及、そしてそれら閣僚の任命責任者である首相が、そうした解明と追求の先頭に立って「うみを出し切る」こと。これが「今国会の最重要課題」なのです。

この社説は後段で「野党は内閣不信任案の提出をちらつかせ、自民党には衆院解散の可能性に言及する声がある」とも言ってます。私は過分にして、野党が内閣不信任案の提出をちらつかせているかどうかは知りません。これも読売のフェイクでしょう。しかし解散に言及しているのは確かです。

もし安倍首相が「首相の専権事項」であるところの衆院解散を行なったら、これはもう、「究極の政治の私物化」です。「やれるものならやって見ろ」と私は思います。

このように読売の社説は、一方で野党を斬りながら、他方では「混乱の発端となったのは政府の体たらくである」と、議論のバランスをとることも忘れません。典型的な「足して2で割る」ロジックです。日本の大メディアが、報道の公正性・中立性に対して、この程度の見識しか持ち合わせていないことに私はうそ寒い思いをしました。

③ぎぞう、ねつぞう、あべしんぞう

読売の社説担当者に教えてあげたい情報があります。4月26日の国会前の集会で。確か評論家の佐高信さんだっと思いますが、子供たちの間ではやっている言葉を紹介していました。それは
「偽造、ねつ造、安倍晋三」、ひらかなで表記すると語呂の良さが分かります。「ぎぞう、ねつぞう、あべしんぞう」。ね!、傑作でしょ?

私は思い出します。作新学院の江川卓投手をルールを無視してでも獲得したかった当時の読売ジャイアンツは、「空白の一日」という奇手をひねり出しました。当時の子供たちは、自分の欲望をルールを破ってでも実現しようとすることを「江川る」と呼んだことを。

「安倍る」という動詞が辞書などに定着しないよう私は、野党の審議欠席を強く支持します。

4月27日は、「南北会談」の中継から目が離せませんでした。「政治」とはこういうものなのかと痛感させられました。そのくせ、私の口から出るのはは「それにひきかえ」という愚痴ばかりでした。

北の「政治」は分かりませんが、少なくとも「南」の冬季五輪を巧みに用いた政治を支えていたのは、南北和解と南北統一という明確なビジョンでした。そのビジョンが政治を「現実」的に動かそうとしています。わが国の拙劣かつ低俗でビジョンなき「政治」および「外交」とは大違いです。

余談ですが、河野太郎外務大臣のブログは、「ごまめの歯ぎしり」と名づけられています。朝鮮情勢をめぐっての河野大臣の振る舞いは、さもしく、恥ずかしい「ケチつけ」に終始しました。もはや彼のことばを「ごまめの歯ぎしり」と呼ぶことはできません。呼べば「誉め過ぎ」になります。

河野大臣に私は進言したい。ブログのタイトルを、寿命が尽き、のたうちまわる巨大アベクジラに、それでもへばりつくしかない「コバンザメの強がり」と改めてはどうでしょうか? これでも「誉め過ぎか?」

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