週刊スガモ 2018年9月1日号

いつの間にやら、もう9月。年を取るにつれて時間の経過が速くなると言われていますが、それにしてもここ2年ぐらいは月日が飛ぶように過ぎていく。プライベート以外で、さまざまに焦燥を感じることが多いからかも知れません。

ともあれ今週も……惰性の『週刊スガモ』でございます。

★30代半ばから40歳前後に見える女性

向こうから近づいてきて、署名してくれた。

「ありがとうございます。やっぱり憲法変えちゃダメ!と思っておられるんですよね」と緩く話を始めると、「そうですね……」と少し考え込む。

「私、憲法のこととか、まだよくわからないんです。知らないことばかりで」

「でも、変えるのはマズイなぁと思ってらっしゃる?」

それに対してちょっと恥ずかしそうに笑い、あのね……と話し始めた。彼女は巣鴨が最寄り駅なので、OLDsが活動を始めた頃から「小さなグループが何かやっている」ことは知っていたそうだ。街宣に偶然行き会ったことも、何度もある。

「でも、全然関心なかったんです。私、少し前までは何も考えていなかったから」

「今は違うんですよね。いつ頃から関心持たれるように?」

「去年ぐらいかしら。……今の政治って、やっぱり何かおかしいなぁって思い始めて」

いわゆるモリカケ問題をはじめ、「何となくおかしい」と引っかかると、次々に納得できないことが出て来る。

「で、ツイッター見たり、いろいろ本も読み始めたり」

そうするうちに自分も何かしなくてはと思うようになり、国会前などのデモにも行ったという。

「ほんとは日々の中でも何かしなくちゃ、って思うんです。でも何すればいいか、わからなくって。こうやって行動しておられるの、尊敬してます」

生真面目な顔で尊敬などと言われると、こちらの方が穴があったら入りたくなる。いえいえいえと慌てて首を振り、「時間があるから何となくやってるだけでして」と小さな声で言うほかない。まあ、それが本当のところなので。

「私なんか、ほんと、何もわからないんです。憲法のこともちゃんと勉強してないし。ただ、乱暴に変えられるのは怖いっていうだけで」

「ですよね~。私も、難しいことは全然わからないんですよ。でも、それなら黙ってろと言われても困りますよね。こっちも一生懸命考えるんだから、勝手にやるなって思いますよねぇ」と私。

気が向いたらまたお声かけてくださいね、お話しましょう、と言って別れた。

★80歳前後の男性

署名しながら「憲法は変えちゃダメ」と言い切る。

敗戦時には小学校1年生だった。空襲経験もあり、「あんなことは2度とゴメンだと思って、ずっと生きてきたんだ。戦争できる国になんか、させられないよ」

同じく「何が何でも憲法は変えちゃいけない」と言って、署名してくれた人がほかにも2人。

★30歳前後に見える女性

地面に置いた「国民愚弄/国会軽視」うんぬん……のお経のような文字列をしげしげと眺めている時、雨がポツポツと降り始めた。「読みたいのに~」と大声で言うので、慌てて横から傘を差し掛ける。

「安倍サンばっかり悪く言うのも、何だかなぁ」とまた大声で。
雨脚が強くなってきたので、傘を差し掛けたまま駅構内と外部との境目、屋根のある場所に移動する。

「悪く言ってるわけじゃないんですよ。ちょっとおかしいんじゃない?と思うところが多くって」

「おかしいって、どんなところぉ……?」

うーん。何の話をすればいいんだろう。こちらに対する悪意や反感を持っているふうではないが、話題のとっかかりが掴みにくい。いきなり「憲法」うんぬんの話をするのはいささか違うし、ましてやそれ以上に混み入った話も多分出来ない。やむを得ず、そろそろと無難(?)なところから話を始める。

「だってさ。安倍サンって、何があっても自分の責任じゃないよっていう顔してるじゃない? 責任を痛感してますって、口で言うだけで」

「でもぉぉ」と、彼女はちょぃと口を尖らせる。「文書書き替えたとか、いろいろ言われてるけどぉ。それって安倍サンがやったわけじゃないじゃん?」

なるほど……公文書改ざんなどのニュースは、耳なり目なりに止めているわけだ。

「ほかのことでも、いろいろいっぱい言われてるけどさぁ。安倍サンがやったわけじゃないよねぇ。安倍サンばっかり悪く言うの、違うんじゃない?」と、彼女は続ける。そう来たか。

「でもさぁ。どっかの企業でトンデモナイことしたら、記者会見開いて社長とか頭下げるよね。責任取って辞めます、ってことも多いじゃん? 安倍サンは一応、最高責任者なんだからさぁ。自分は知りません、関係ありません、なんて言うの、おかしいと思わない?」

その他もろもろ適当に言う(←適当に言うなんてとんでもないことなんですが……皆さん、ゴメンナサイ。勘弁して)私の言葉を彼女は釈然としない顔つきで聞いていたが、「嘘ついてるしぃ」という言葉にピピッと反応した。

「嘘、言ってるのぉ?」と目を見開くさまにいささか驚きながらも、加計問題の話を簡単に話す。

「安倍サンはさぁ、加計理事長とは学生時代からの親友なんだよ? で、しょっちゅう食事したりゴルフしたりしてるわけじゃん? それなのにさぁ、獣医学部の話は全く聞いてませんでしたなんて、フツーに考えて変だと思わない?」

ええー、そんなこと言ってるのぉ~と、女性はのけぞる。「親友って、何もかも話すよね」

ここで彼女が「親友論」や「自分の親友との関わり」を息せき切ったように語るのを、「だよね」「わぁ、大変だったね」などと言いながら聞く。

正直なことを白状すると、「手垢にまみれた」「陳腐な〇〇論」を聞くのはかなり辛い。そんなことを感じるのは、おそらく私が年をとって(つまり残された時間が少なくなって)きたせいでもあるのだろう。それでも……自らを罰するような思いもあって、私は身を乗り出してそれらを聞く。聞くことしか、私には残されていないのだから。

それはともかくとして。話が行きつ戻りつしながらも、何となく着地して。結局のところ、署名もしてもらいました。

署名1筆ゲットはいいのだけれど。ただ……私は今も思う。こういう人達は、「自分の話を聞いてくれる」人に出会い、「でもさぁ、安倍首相は頑張っているんだしぃ」と囁かれれば、「そだね」と頷いてしまうのではないかと。

★女子中学生の集団
信号を待っていた10人ほどの集団に近づくと、ナナ何と、3人が受け取ってくれた。ちなみにこれは私のささやかな経験に過ぎないのだが、歩いている時より立ち止まってる時の方がチラシを受け取ってくれる。手持ち無沙汰なのかな。

正直に告白しますと、私は女子中高生の「集団」って極めて苦手なもののひとつである。その年代の頃、集団行動が何より嫌いで、同時に「女子中高生」と一括りにされることに対しても殺意に近いものを感じていた自分がいるから。だから、同じ表情をして同じ反応を示す制服集団に対しては、心の深いところで血が流れ続ける思いを持つのだけれども。

だからこそ……と言うのだろうか。集団の中で1人か2人でもチラシを受け取ってくれると、本当に素朴に嬉しいのだ。

それはさておき、かるーい感じで「安倍総理とかについて、何か感じることある?」と話しかけてみる。

1人の少女が「安倍サン嫌い」とキッパリ。

「そうなんだぁ。なぜ嫌いなのかな」

「だって、戦争しようとしてるんでしょう?」

もっと話をしたかったのだが、信号が変わり、キャアアという声と共に全員がバラバラと小走りに交差点を渡って行く。ほんとうに残念。

ほかにも今日は女子高校生2人にチラシを受け取ってもらった。チラッとでも読んでくれるといいけれど。いや、読んでくれなくてもいい。社会の歪さに対してモノを言ってもいいんだよと気楽になってくれれば、それだけでもいいのだけれど。

★50代後半~60歳前後に見える男性

チラシを受け取ったが、署名は拒否。「街頭の署名はやらないことにしているんです」という言葉があったので、それ以上の追及は封印する。

「じゃあ署名はいいですけど。安倍政権に対してどう思われるか、聞かせていただいていいですか」と聞くと、「安倍は大嫌い」と顔をしかめた。

頷きながら駅の構内までくっついて歩く私(ほんとに私はストーカー)に対して、「安倍はよく右って言われるけど、おかしいよな」と言葉を紡ぐ。

「もっとアメリカにも物言えよって。なんでアメリカの言いなりになってなきゃいけないんだって」

ちょっと立ち止まり、「安倍政権見てると、だんだん自分が右翼じゃないかと思えてくるんだよね。絶対、右じゃないはずなんだけど」とため息をついた。

そのまま改札口をくぐってしまわれたので後の言葉は聞きそびれたが、「右と左」が錯綜してしまった感じ……というのは私にもわからないではない。

〈ここで余談〉前にもちょっと書いたかも知れないが、「街頭で気軽に署名すること」に強い疑念を持っている人は決して少なくない。むろんその理由は人によって違うけれども。これも書いたかも知れないが……私の古くからの最も親しい友人のひとりで、政治思想的には私とかなり近く、僅かながら共にフェミニズム運動なども担ってきた女性がいる。彼女は少し前に大学を退官してからも、教え子などと社会問題を考える活動を続けているのだが、街頭署名はノウであるという。その理由について私は100%同意できるわけではないが、受容はしている。おそらく彼女のほうもそうであろう。街頭署名活動には疑義があるが、あなたの考え方は認めるし、やることも認め応援すると。そういう関わりを、私は大切にしたい。

★50歳前後~60代前半に見える女性

仲間からチラシを受け取ったので、すかさず近寄って言葉をかける。

「これこれの署名……」と言いかけて、その時の(何言われてるのかわからないふうの)相手の表情を見て「ちょっといいですかぁ」とこちらもマッタリと表情を変える。

「安倍政権……安倍総理に対して、何か感じていることってありますぅ?」

それを聞いた彼女、意外なほど真面目な顔つきで「安倍サンに対して、私は嫌な感じは持ってないの」と答える。

ここで相手を責めたり否定するのは、下策中の下策。(つまらない老婆心だとは思いつつ、私はこれを繰り返し声を出して言いたい。あんた間違っているよ!と叱責されて嬉しい人間など……ゼロではないかも知れないが、きわめてマレ。いきなり相手を否定するのはNGというのは……カウンセリングの基本でもあります。ちょっとズレた話ですけど)
「なるほど。……確かに、そういう方もおられますよね。問題はあっても、総合点としてOKという感じでしょうか?」

うーん、と女性は首を傾げる。トコトコとつきまとう私を拒否するでもなく、「トランプ大統領と、とても親しいでしょ? あんな首相、今までなかったわよね? あれなら発言力もあると思う」とごく普通の声音で語る。

実のところ、こういう(誤っているとかどうかは別として)「感覚」に接するのは、思いのほか大事なことだと私は思う。それは違うとかバカだとか騙されているとか声高に訴えるほど腰が引ける大勢の人達がいることを、知ってほしいとも私は思う。

なぜなら私自身がインテリでもエリートでもない、その他大勢に数え上げられるしかない無名の庶民だからです。歴史に断罪されるかどうかよりも、明日の米があるかどうかの方が大事。清岡卓行ではないけれど……願ったものはひとつの幸せ、それ以外に何があるってか。

無知が栄えた試しなしという言葉を座右の銘にしてきたけれど、無知を嘲り利用してきたのは公権力だけではない。

私はあなただ。あなたは私だ。そのヒリヒリしたあわいを踏み過ぎることができるかどうか。その境に立っているのだと、私は感じた(その根拠を問われても私には答えられません。死ぬまでにまとめられれば僥倖、てなもの)。

すみません。いつものことながら脱線が多くて。話を戻して、この女性との対話。

「でもぉ、トランプさんだってこの先ずーっとアメリカ大統領でいるわけないんですよねぇ。ベタベタにくっついいるのも、まずいなーとか思いません?」という軽い問いかけに対して、彼女は「そうね。……そうかもしれないけど」と言って、ほとんど私を振り切るように足早に去っていた。

通りすがりの人達と言葉をかわしていると、悲観的な思いに絡み取られること多々。自分と外界とを繋ぐスイッチを切り、残された人生を「仕事の総仕上げ」的なことに使いたいと喘ぐ自分がいる(私の父方はきわめて短命の家系だし、母方も長命と言えるほどではない。現にここ数年の間に、50代後半から70代前半にわたる母方のイトコ達が、3人ほどガンで次々と死去した。ついでに言えば私より5歳下の弟も心臓病を患って、最近手術はしたがもはや果敢に行動する体力はない)。

それでも諦めるわけにはいかない……。

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